日本の空は何故こんなにも低いのだろう?ずっとここに住んでいると、そうも感じないかもしれないが、アメリカの壮大な田舎に住んでいるせいか、日本の空がとても低く感じる。地面が空を自分の方に引っ張っているみたい。あまりに低くて押しつぶされそうだ。手を伸ばせば届きそうな空に覆われた空間は密で複雑で、そこに住む人々は、いかに限られた空間を使うかを常に考えている。低い空の下に家が立ち並び、森がそびえ、建物がひしめきあい、田んぼが広がる。東京のような都会はもとより、田舎でさえも、凝縮感を覚えるのだ。山や森、川や家、人や道や建物や車といった全ての要素が、まるでパズルのようにきちんとはまっていて、相互関係を確立しているその様子は、驚くばかりだ。そして、空間は言葉と呼応する。4年間のブランクの後、日本を訪問していたときよく耳にした言葉は、「寄り添う」と「思いやる」。二つとも日本では、とても大事なコンセプトだが、実はどちらも英語に訳しにくい。「寄り添う」ー ‘stay beside’? ‘「思いやる」ー ‘think/feel for another’? 英語だとはっきりするのが、これらの言葉は、自分以外の誰かに働きかけることを示唆しているということだ。でも、日本語の「思いやる」や「寄り添う」行為では、自分と相手との境界線が曖昧になる。そこには自分も自分以外をも含む大きな共同体の存在が感じられる。この共同体の中では、「迷惑をかけず」「助け合う」美徳が重んじられ、それは、暗黙の中、言葉だけでなく、空間や人間関係、生き方までも形作っていく。低い空は、こうした相互関係をしっかりと地面にアンカーさせるのに必須なのだろう。そこに現れる空間は、ウエットで心地よく、浦島太郎の竜宮城のごとく魅惑的だ。一度入るともう二度と離れたくなくなるような非常にアブナイ空間でもある。