There is a Japanese saying I'm fond of - "Shoshin Wasururu bekarazu". It means ' remember your original intension' or 'don't forget beginner's mind'. This phrase was created by Zeami, 15h century visionary, actor, playwright who established Noh as an art form in Japan. For me, this phrase has double implications. What is so significant about beginner's mind? When you are a beginner of something, you approach One is to honor every moment in life. The depth of my commitment to each moment determines the depth of experience, which then determines the quality of a person I can become. The other is to approach the seemingly similar experience
Uttering words on stage 舞台上での発語について
つい最近、演劇における「本当」ということについて考える機会があった。昔初めて大学かどこかで芝居を見た時、「嘘くさい」と思ったのを覚えている。どこがどう嘘くさかったのか思い出せないが、表現の仕方とか、体の動かし方とか、そういうものが不自然に思えたのだと思う。演技も学生のもので、おそらく下手だったのだろう。今プロの役者の演技を見て、さすがにうまいなと感心する。が、「本当か」ということになると、どうもわからない。そしてこの「本当」かどうかということは舞台上で発語するということをいかに成り立たせるかという事にかかっているようである。 どうして舞台上で発語するのは不自然で嘘くさいのだろう?日本の伝統芸能は型というものが決まっているし、古くからの形式にのっとったリアリズムではないスタイルで創られた世界に、声も体もマッチしている。これが現代演劇になってくると、新劇以降、「西洋劇、又は西洋のリアリズムをもとにした劇」をどうやって西洋人でない日本人が成り立たせるのかという課題と取っ組まざるを得ない。鬘をかぶって西洋人のように振る舞い、喋る?でも喋っている言葉は日本語。昨年日本に帰った時、こういう演劇を目撃してショックでした。
舞台上で発語するということは、結局、戯曲そのものから生まれてくるのではなく、体や空間から生まれなければ成り立たないのだろう。
ライフイントーキョー#13 最後のレッスン
「自然に色がにじみ出てくる。」O先生が最後のおけいこで言ってくださった言葉だ。「つくっているとすぐわかる。それで、その場はいいかも知れないが、伸びない。」 能という芸術は考えてみれば、気が長い。時間をかけて熟成するのを待つという、厳しいが、人間的な面がある。能楽師の卵は、最初はうまくなくても、若いうちから機会を与えられ、舞台に出され、育てられる。西洋演劇では、競争に勝ち残った才気ある者だけが舞台に出る。一般的な商業演劇では下手だとオーディションで落とされてしまう。能の世界でも、多少はあるのかも知れないが、やはりスパンが長いような気がする。能楽師になると決意した時点で、人生を捧げる約束をしたのと同じだから、よっぽどのことがない限りは又、自分から他の道を選ばない限りは、師も責任をもって育てるし、習う者もその道を全うしようとするのだろう。こうしてこの芸術が続いてきた背景には、日本文化の継続や何やら以前に、歴史を続けていく者の誇りがあるのではないだろうか。多様化されていく世界の傾向に抗って、一つのことを全うする職人魂。
外から塗ったものと違い、中からにじみだしてきた色はそう簡単には消えない。能舞台は年配の客が多いが、こういった色の褪せない芸術こそ、今の若者が見るべきなのではないだろうか。
ライフイントーキョー#12 能舞台での稽古
「はい、じゃあここに立って。この辺ね。」キビキビとO先生は、揚幕の後ろの立ち位置を示された。先生のお稽古はいつも緊張する。今日はお面をつけているせいもあって、よけいだ。舞台での稽古は二回目。最後になるので、能仲間のLさんにビデオを撮ってくれるように頼んだ。時間は30分。短い。私を能に始めて紹介してくださったE先生にも来ていただく。この3ヶ月間の成果を見てもらうためだ。 それにしても、舞台の位置取りもよくわかってないのに、面をつけて敦盛の後ジテを全部やろうというのだから、無謀だなーと思う。でも、どうしてもやってみたい。やるしかないのだ!と自分をふり立てていると、舞台からもう、O先生の謡う一声(入りの音楽)の囃子が聞こえてくる。よし、と腹を決める。ヨー、ホー、ホーという鼓のかけ声をたよりに、橋がかりを渡っていく。一の松でサシて行き、シテ柱を左肩にかすめて舞台に入る。。。と。。あれ?今日は感覚が違う。体の回りを風がスースー通っていくようで、広いところにぽーんと一人放り出されたような感じだ。少ししか見えないせいかな?と考えている間もなく、どんどん劇は進行していく。今日はO先生、やっていつ間中一言も発しない。うまくいっているのかな?それとも?あとで聞くところによると、これは、面をつけたらもう直せないという決まりがあるということだった。
能舞台は最初、屋外にあった。役者も観客も共に、自然の息づかいと呼応しながら、一つの壮大な世界をつくっていった。この開かれた吹き抜けの舞台に立って、外の世界との道を開くには、自分の中に固まっていたのではだめだ。体の中には常に、風や、気や霊や音や、魂など、いろんなものが出入りする。体は宇宙の四方からひっぱられ、宇宙の中心に立っていく。エゴの無い体と心が一体になる状態を役者はめざすのだろう。
「はい。」O先生の声が聞こえた。20分の後ジテを終えて舞台から出るところを指導される。「ここは大事。背中を意識してしっとりと。」ゆっくり足を運ぶ私の横を先生も歩いてくださる。鏡の間に入り、鏡の前に立つ、面をつけた自分を見る。なんとかのりきった。「今日は出来なくても、それが明日の種になる」O先生から教わった、喜多流家元の言葉が聞こえた。
ライフイントーキョー#11 言い訳なし
昨日はお稽古日。12時に間に合うように喜多能楽堂へ行く。いつもは、「何々の間」という所でお稽古があると、先生の名札がかかっているのだが、O先生の名札がかかっていない。あれ?時間を間違えたかなと、事務所に問いかけると、「来ていらっしゃいますよ」とのこと。そこで、先生出てきて、「ちょっと待ってて。」と仰る。こころなしか、少し微笑まれた(?)様子だ。
10分ぐらいして、「前芝さーん」と声がかかる。「今日は上で。」階段を上がっていくと、「舞台が空いてたから、今日はここでやりましょう。」「はい」とは言ったものの、内心焦る。12月に入ってから、舞台で稽古をつけて欲しいとはお願いしていたのだが、今日?心の準備が。。。等と考える暇もなく、揚幕の後ろに’少し左寄り’に立つように言われる。後ジテの出はここから、橋懸かりを渡って、シテ柱をよけるようにして舞台に入っていく。先生は舞台上で囃子の調子をとりながら、見ている。半ばぐらいまで通してやると、ダメ出しが入る。何度か、タイミングとか舞台に入る角度、立ち方等を注意された後すぐに、もう一度やる。今日は先生、厳しい。気合いがピっと入る。不思議なことに、細かいところをきちっと直していくと、自分がだんだん敦盛になった気になってくる。やっと通し終えると、「はい。一回目からそれぐらいやって欲しいね」と言われ、ややガックリくるが、まあしょうがない。先生から見れば、大分練習不足だろう。100回は練習しないと、と言われていたのだから。
それにしても能は正確だ。舞台は9つ割になっていて、一番橋懸かりに近いブロックを常座というが、入るとまずそこに立つ。右から板三枚目だ。タイミングは鼓をしっかり聞いて。そして間。空気を張っていくように体を動かす。止まる。そして最初のセリフ。全く気が抜けない。厳しい。「女だから」とか、「プロじゃないから」とか「練習する場所が狭い」とか、関係ないのだ。要は、やるかやらないか。自分をたたき直して、今度はがんばるぞー!と、O先生、舞台で今日やってくれて有り難うございました!
ライフイントーキョー#10 素になる
神戸に帰省していたせいで、一週間稽古をしなかった。帰ってきて、さすがになまってるなと自分でも感じた。ところが、復帰して2、3日後に少し変化が見られた。少し楽になったのだ。鼓の音が出るようになった。笛は未だに苦しいけれど、頭で考えていない時は比較的楽に吹ける。謡の声が動かせるようになってきた。これはどうしたことだろう? やっとだんだん「力が抜けて」きたのかもしれない。
私にとって、能の一番のパラドックスは「やろうとしない」ことの美徳である。一生懸命そのものを把握して完成させるというよりも、「形をかりて、心でみて、体で感じて」そこに素のまま或ること。もちろん、全てを尽くして準備する事は大事ですが、うまくやろうとすればするほど、能は私から逃げていってしまうのです。脳をフルに活用しながら、ある時点を過ぎると脳を一切使わないモードに切り替える。これはものすごい訓練だと今更ながらに感心する次第です。でも考えてみれば、これは全てのパフォーマンスの基本ですね。
何でも、キンキンになって一生懸命にやろうとする私は、つい最近になってから、「力を抜く」ことを練習し始めています。これはいろんな人からいろんな状況で指摘されていることで、今まで「がんばる」ことの美徳を信じさせられて生きてきた私にとってはとても難しい課題であります。でも、最近はだんだん、「がんばる」ことは自己満足にすぎないのかなと思うようになりました。だからがんばってやったパフォーマンス、自己が満足している時は観客は感動が薄いのでしょう。努力を怠らず、しかし結果を期待せずに一足一音を疎かにせず、力を抜くことを続けていきたいと思います。
ライフイントーキョー#9 バラ色の人生
ジェローム ベルの『ザショーマストゴーオン」は久々の快挙でした。「まさかやらないだろう」ということを次々と、この大きなリッチな劇場でやってくれたのは、スカーッとしました。ローメインテナンス、ポータブル、アクセシブル、とツアーの難点3つを満たしていて、このショーが何年もいろんな国で、ヴェニューで続けられて来たのはわかる気がします。
ライフイントーキョー#8 ことば。からだ。演劇。
演劇は「喋る」ことによって、内容を伝えるものと思われがちだが、昨日見た太田省吾作、キム アラ演出の『砂の駅』、そして今日の、京都出身の三浦基率いる地点のパフォーマンスは、この常識に反するものだった。 『砂の駅』は沈黙劇。役者は言葉を発することなく、舞台上で次々とドラマを繰り広げていく。内容はありそうでなく、なさそうであって、観客の想像力によってドラマが引き出されていくようになっている。一方地点の公演は、5人のパフォーマーがひたすら言葉を発するのだが、その言葉はドキュメントや戯曲からの抜粋が組み合わされたテキストだ。5人は、観客席に座り、何もない舞台に向かって、ひたすら言葉を発する。特に身体に重点が置かれているわけではないが、言葉をいろんな風に発語することで、ある種のエネルギーのようなものが生まれてくる。そのままではとても読めないし理解できないテキストのエッセンスが、様々な形状の語り口を通して伝わってくる。
両者共に、独自の方法論で、人間の根源的存在を追求しようとしているが、こうして比べてみると、前者では、発せられない言葉(はっきりとした内容を持つ場合と持たない場合がある)が体に負荷をかける。体は普段では見られない表情をあらわしはじめる。大きな社会という枠組みの中で起こる小さな物語。後者では、書かれた言葉に面と向かうことによって、言葉(非常にはっきりとした内容を持つ)に定義されがちな体を、再定義していくような試みに思われた。テキストに「日本国憲法」と別役実の「象」を使うことによって、現在の日本の置かれた状況を、ベタでなく示唆したのは洒落ている。大きな社会の枠組みの中で起こることの批評。
両者に共通しているもう一つのことは、人が人と、私達が知っているような形では向き合わないということである。1996年に太田省吾さんの『裸足のフーガ』を英訳し、舞台化するということで、初めてお会いした。太田さんは紙にいくつか丸(人を表す)と矢印(向いている方向)を書かれて、「日本に西洋演劇が入ってきてから、こうだったのが、(二人の矢印が両方とも前を向いている、つまり向き合っていない)こうなっちゃったんだよ(二人の矢印がお互いの方を向いている)」と仰った。向き合うとどうなるのか?「個人」が曖昧になってしまう。一人一人がバブルのような丸の世界を持っているとすると、二人が前を向いた時には、自分の世界を保ちながら、交わったところで、その人と関わっている。ところが、二人が向き合うと、一つのバブルの中に入ってしまう。このバブルは社会という大きなバブルの中に統合されていく。『砂の駅』では個人の、普段は現れない内面が、静かに又は激しく、外に溢れ出る。地点のパフォーマンスでは、個人は叫んで訴え続ける。あくまで「個」があり、「社会」なのだ。再び自由ということを考えさせられた。
ライフイントーキョー #7 こころで見る
能楽師O先生を訪ねる。これで5回目のお稽古である。能楽堂の裏口から入り、稽古部屋へ行く。初回からずっと敦盛のキリという仕舞をやっているが、これは今年の夏ブルームズバーグの能ワークショップで一度舞ったものを、今月30日の会に向けて練習している。 さすがにプロの能楽師と一対一で習うのは緊張する。毎回新しい発見があり、能の深さと濃さを再認識する。前回は、舞の位置づけがいかに正確なものかを教わった。型はもちろん、どの位置にどういう角度で行くか、柱に向かって、観客に向かってどういう角度で立つかは、見え方や舞台上の他の要素との関係性で、全て決まっている。能役者は2間(3m60cm)の正方形の中で極めて正確に拍子を踏み、舞を舞う。この制約が、「人間わざ」を超越させる。そんな狭い空間の中でしか動いていないのに、時を超え、空間を超えたところに存在し得る。
O先生によると、「うまくいっている」と思った時には「側面的」になってしまい、必ずうまくいっていないという。一番うまく行くのは、「あー今日はちょっとうまくいかなかったなー」と思った時だそうだ。そういう時の方がお客さんは感動する。これもおもしろい。制約は機械のようなパーフェクトさを舞台に載せる為にあるのではなく、「可能であり不可能」の前に人間を立たせる為にある。極めて正確であり、極めて曖昧なところに居続けなければならない危うさ。そこでは、「自分」や「自分の気持ち」を直視し、かつ、執着せず、流れに身を任せることが要求される。
先生は最後に、「月をこころで見る」と仰った。「だから、能面をつけると余り見えないのがいい。目でなくこころで見るのだから。それが観客に伝わり、彼らも又、月を見るんです。」
ライフイントーキョー #6 カラス
それにしてもカラスが多い。東京に来た第一日目の日に気づいたことだ。鳴く声が独特で、黒い翼を木の葉の影に沈めて、目を光らせている。どうしてカラス?神戸の家のあたりには夕方にはコウモリが飛び交っていたが、カラスは見られなかった。2、3日して訳がわかった。ゴミだ。 東京のゴミ状況はかなりシビアである。毎日毎日、分別で分けられた違う種類のゴミを、朝の8時までに出さなければならない。一週間は、ゴミを出すことによって始まり、ゴミを出すことによって終わる。カラスはそれを狙っているというわけだ。
神戸でも分別はあったが、ここまでシビアではなかった。アメリカ、メリーランド州ボルチモアの家では、とりあえずリサイクル(2つぐらいに分かれる)は週に2回、生ゴミその他は週に2回と決まっている。裏の庭の入り口にあるゴミ缶に入れ、しっかりふたをしておけば、次の日の朝とりに来てくれる。ゴミ缶に入れるので、前の日の夜に入れておくことも可能である。
東京は場所がなく、家と家の間が詰まっているので、一カ所に出しに行かなければならない。前の晩には出せない。もちろん分別しないより、する方がいいに決まっているが、なんとなくしょっちゅうゴミの事を考えていることになる。
マクロバイオティックな食生活に切り替えた友達が生ゴミの量は増えたが、他のゴミの量はぐんと減ったと言っていた。生ゴミならコンポストで土に埋められる。
ライフイントーキョー #5 「風景画」
維新派の『風景画」を見た。久しぶりに刺激のある舞台だった。 1970年から松本雄吉氏をリーダーに活動しているこの集団は、野外にこだわっている。今日の公演も池袋西部の4階、祭りの広場という屋上で行われた。電車がすぐ側を走り、周りには高いビルが立ち並ぶ。この屋上にはそのビルや建物のミニチュア模型が街を成している。
出演者は24名。男の子7人と女の子17人だ。(公演中はそのことを全く意識していなかった)全員が紺の半ズボンに白い半袖シャツを着て、短い髪をしている。機械の様なコントロールされた動きが24人によって極めて正確に示される。特殊なリズムで発される断片的な言葉、恐ろしいほどに統一されたジェスチャー、幾何学的なモチーフ、音楽があいまって、不思議な2次元のような3次元のような時空間をつくりだしている。全体は11の小章に分かれていて、「点」から始まり、「図形」や「対角線」等、を経て「2011〜」で終わる。東京という都会の性質がタブローや細かく振り付けされた動きを通して、浮き彫りにされる。例えば、「四角形」という章では、24人が6つの四角形をつくり、その内の一つから4点のうちの1点がそとに出てしまう。でもその1点の入るところはない。しばらく迷ったあげく、仕方なしに元の場所に戻る。「4」という数字は以前「家族」という作品で扱ったが、「世間に認められる数字」であると思う。「安定する数字」「3」は「4」よりずっとバランスが悪く、均一にしにくい。私達の周りを見回しても、4点で出来ている四角いものがおおい。「あてはまる」形なのだ。そこからはみ出てしまったものは行くところがない。又、「一秒」という章では、「一秒で何何をする」という号令のようなものがかけられ、24名は次々とその課題をこなしていくが、最後の方で、「一秒で息をする」「十秒で息をとめる」と、生きていくに必須な息さえも失うことに同意させられてしまう集団性を見せられた。クライマックスの「2011〜」になると、様々な線や図形、かたちをつくっていた24の体は一列に並ぶ。もののかたちが語られ、体の一部一部が四角の中に入れられ、記録され、24名は列に並んで、どこまでも深く暗い河の流れを見る。最後の最後は『2016、2017、2018、。。。2035。。」と未来の年号を言い続けながら、模型の街に向かっていく。ある子供は手を広げ、ある子供はヨーイドンみたいな姿勢になって、街に向かい続ける。そして初めて、ある者は人によりそい、ある者は一人で、静かに街を見つめる。
この芝居中、電車は側でずっと走り続け、ビルのネオンは消えることがなかった。時が時なので、どうしても、「資本主義」「規則」「子供の未来はあるのか?」といった事を考えてしまう。難しいテーマを扱いながら、「陰/絶望」でも「陽/希望」でもないスタンスで観客に投げ返しているのはすごい。そこには答えはなく、問いかけがあるのみだった。
ライフイントーキョー #4 葵の上
10月1日に辰巳萬次郎の会で「葵の上」を見た。今まで体験した能の中では、一番パワフルなものだった。 蝋燭能ということで、舞台はかなり暗くされ、周りを囲った蝋燭のたゆたう明かりの中で、パフォーマンスが進行する。若い女の面をつけたツレの巫女に見とれて、ワキツレの廷臣の言葉を聞いていると、ふと橋がかりの第一松のところに六条御息所の生霊が立っている。面をつけているが、蝋燭の光のせいもあって、本当に霊がいるように思えた。萬次郎氏のパフォーマンスは素晴らしく、面が本当の顔のようで、ひとつひとつの微妙な表情が正確に読み取れる。後ジテでは般若の面をかぶるが、これ又、迫力があり、感激しながら、「スピリチュアリティ」ということを考えていた。
歌舞音曲や、神への奉納の舞が大成されたこの芸能はエンターテインメントでありながら、強い儀式性がある。蝋燭の光の中で葵の上の霊が鬼に変わっていく様子を見ながら、霊が降りてきているような気がしたのは、生きている人間に霊が宿るからではないか。儀式性は、霊を呼ぶための準備を整える為のもので、能楽師達は特別に選ばれたシャーマンではないかとさえ思えた。能にはカーテンコールがなく、能楽師達は舞台が終わるとただ儀式にそって退場するのみである。それは霊が降りてきて去った後の舞台を乱さぬよう、静かに去ることによって、「仕える者」としての謙虚な姿勢のあらわれのように思える。
ライフイントーキョー #3 曖昧さについて
能の謡いや言葉というのは一応の節が決まっている。最初に習う時はとにかく声を出して、素に詠うことが大事なので、先生のやっている通りにやる。だんだん慣れてくると、伝統芸能特有の「先生の芸を盗み」ながら自分の詠い方を見つけていく。そこで気づくのが、この節、実は決まっているようで決まっていないということである。一応あるにはあるが、それを意識しながら、その「あたり」をうろうろするという感じで詠うらしい。なんだか曖昧である。 その「うろうろ」の仕方は何によってきまるかと言うと、心の中の動きらしい。これは私の想像かもしれないが、体の外の空気と体の中でまわっている「気」のようなものも影響しているかもしれない。西洋演劇の様に、心の動きが直接せりふの言い方に反映されるのではない。気持ちが反映するといってもおさえられてはいるし、古語で、節どおり詠ったり喋っているのでいくらかの距離ができる。言葉をよく聞いていると、決まった節を守りながら、ペースやリズムが時々変わる。「押す」と「抑える」によってダイナミックな抑揚が生まれてくる。
ある時能楽師の大村氏に、せりふを喋る時、その意味を意識して意図を伝えようとしているのかと聞いてみた。意味は一応わかっておいて、舞台上では練習した通りにやる。というこれ又曖昧な答えが返ってきた。この「曖昧さ」をもって意図を相手に伝えるのだが、別に相手がこれといった反応をするのでもない。その中で、淡々と劇は進行していく。観客は能を見ている時、意味は全て理解していなくても、ところどころの言葉や文章をつかみながら、ペースやリズムを感じて何が起こっているかを「想像」する。「考えて理解する」よりも「感じて想像する」演劇なのだ。そこで曖昧さが重要になってくる。いや、正確かつ曖昧さとでも言おうか。この二面性は「神」と「人間」の対峙に相当する。「神」に近づくためには正確な儀式が必要だが、一見その反対のように思える曖昧さとは「自然」である。観客が「感じて想像する」自由を最大限にする為には、どちらもが必須なように思える。
ライフイントーキョー #2 第四の壁
震災、津波、放射能とかなり大変なことになっている日本の中心東京で、今古典芸能を勉強することになったのは偶然ではなさそうだ。能舞台はもちろん、以前に見た事があるが、今、この状況の中で見る舞台は斬新である。前日観劇した現代劇のチェーホフと比べて見ると、能の世界がいかに徹底したアナログなやり方でマジックのないところからマジックをつくりだしているか、よくわかる。 チェーホフの作品は『プラトーノフ』。これは、後に『桜の園』や『ワーニャ伯父さん』のプロトタイプともなった彼の若い頃の作品。劇団俳少という「新劇」(?)風の劇団、ロシア人演出家による公演。一方能は、喜多能流で『小督』『半蔀』、『絃上』の三本である。(上は観世能楽堂)
この二つの演劇を見て、「距離」ということが頭を離れなかった。見えているものと、言おうとしていることの距離。又、役者と役との距離。観客と役者との物理的距離。チェーホフも能も、自然には入っていけない演劇であることから、既にある距離は存在している。チェーホフは翻訳劇。鬘をかぶり髭をつけ、役者は外国人名で呼び合う。様式としては、いわゆる西洋劇で、設定も日本ではない場所である。能の言葉は古語。様式は音楽劇。設定は様々な戦国時代や平安時代といった昔の日本。自分たちが普段住んでいる環境とは違った環境でドラマが起こっている。さて、こういう状況で、この二つの演劇において、1)役者は自分の役とどう向き合うのか?そして2)観客とどう対話しようとするのか?
1)役者と役との距離
チェーホフの方には、役者が自分の役をこちらにひっぱってこようという絶え間ない努力が見られた。結果、日本人が外国人を演じる不自然さを拒否、又は無視している感がある。(ロシアの話で、彼らはロシア人であるという約束事を観客に強いていて、そこから来る生理的な違和感を役を「演じる」ことによって超えようとしている。一方、能はというと、現代の人間が語っている昔の物語なのですよということを役者も意識し、又観客にも意識させながら、(面や衣装、音楽等、形式的な)万全の準備を整えて、登場人物の魂が降りてくるのを待っている感である。あえて観客に強いるというよりは、私達はこれから儀式を行いますので、どうぞ見守り、物語を一緒につくってくださいというスタンスである。
2)観客との対話ー第四の壁
西洋演劇のプロシニアム舞台では「第四の壁」というのが観客と舞台との間にある。役者は視覚的便宜上、観客の方、つまり第四の壁に向かうことがある。チェーホフのこの劇の場合、登場人物の独白のセリフは殆ど、観客の方に向かって語られた。しかし、観客に語っているのではない。プロシニアムのきまりとして理解することは可能であるが、この手法は感情あい極まった瞬間に使われることが多く、観客は役者をクローズアップで見る事ができ、カタルシスに引き込まれる。この時、第四の壁は確実に存在し、役者のエネルギーはその壁でとまる。観客からのエネルギーもその壁でとまるので、直線的である。能は舞台も半スラストで、開いている為、第四の壁といえるかどうかはわからないが、役者が舞台の端ギリギリまで出てきたり、観客に向かって話したり、時には観客の方を向いてじっと立っていたりということが多々ある。この時、西洋風に(又は現代風に)「表現する」ことは極力おさえられており、ただそこに居る、その存在感が言葉を超える。そのエネルギーは観客の中を貫き、果てしなく遠く広がり続けていく。観客のエネルギーは役者に向かい、その中で漂いながらも、遠心的方向にひっぱられていく。ついには観客も役者も共に宇宙の大きなエネルギーの中にとりこまれていくのだ。ここには第四の壁がないかのような錯覚を受ける。常に幻想を破り続けながら幻想を生み続ける。人と神との距離。近づこうとしてもけして近づけない人間の姿、しかし、神との対話は可能。その時、魂がやどる。
この二つの劇をこの時期に見れたことは、非常に意味深いことだった。
ライフイントーキョー #1
今日で東京に着いてちょうど3週間。今回のメイン目的である能に集中している。着いた時は、東京の友達から、「よく来てくれたねー大変な時期に」と言われ、やっぱりそうなんだなーと折り返して帰りそうになった。 街は平然とした様子。何の変わりもない感じで、背広姿のおじさんとか、ファッショナブルな格好をした若い女の子達が闊歩している。全く何もなかったかの様。。。しかし!スーパーの野菜って産地がいつも書いてあったっけ?ネット上での情報量もすごい。かなりナーバスになっている自分に気づく。とりあえず集中して練習していると気持ちが落ち着いてくる。こんな時に古典芸能を勉強しているのは全くズレているようだけど、なんとなく理にかなっているような気もする。
本当のこと
本当のことに気づく為にはたくさんの勉強が必要だ。強靭な洞察力。そして最後には自分で判断しなければならない。その自分とは何か、そこから始まるのだ。どこまで遡ればいいのか。自分と世界が本当に見えるようになるには。空っぽだと思っていたのは錯覚ではなかった。全く空っぽだったのだ。自分がそこに居ない時、幻想とランデブーするのは易しい。ああ、こういう事にずっと昔に気づいていれば無駄な時間を過ごさずにすんだだろうに。大事なことはいつも見逃す近くにところにあったのだ。いや、まだ遅くはない。遠く、深く、広く、ある時は緻密に又ある時は緩く、一瞬一瞬が最大限の可能性を持つような生き方が出来れば、表現するものも本当に少しは近づくのかもしれない。 In order to grasp the real truth, one has to have resilient and piercing insights. In the end, it is only one person who can make the final decisions - self. What is self? This is the beginning of everything. Research. How far should I go back? To high school? To kindergarten? Or back to the womb? Or even before? How can I see the relationship between myself and the world? The vast hollowness was quietly screaming inside. When one is not really there, it is easy to rendez-vous with illusions. The most important thing was always in the nearest place to me only to be overlooked. Perhaps it's not too late. As far as possible, as deep as possible, as vast as possible, sometimes meticulously and precisely, and other times loosely and gradually, if I can live in the way every moment is open to maximum potential, then and only then what I express might approach a bit closer to what is real.